遺留捜査第7シーズン 第7話
遺留捜査第7シーズン 第7話 <ネタバレ注意><個人の感想です>
冒頭に、5月3日に亡くなった、本作ゲストの渡辺裕之さんを追悼するテロップが流れた。
ダンディで、おしゃれで、気骨のある武士、というイメージでカッコよかった。残念でならない。「武田信玄」(TBS)、映画「信虎」では、織田信長を演じていて、カッコよかった。武士を演じても、刑事を演じてもヤクザを演じても存在感のある役者だった。「仮面同窓会」(東海テレビ)では、溝端淳平、佐野岳、木村了をしごく、体育教師を演じていて、幅広い役柄を演じられる役者だった。仮面同窓会は2019年の作品で、新型コロナの半年前。バリバリの体育教師を演じていたのが、本作では、だいぶ痩せてしまったように見えた。娘を失った父親、という役柄のせいだけではないと思う。
娘を失った父親の、悲しみ、怒り…そして最後には許しの表情をよく表していたと思う。そして、それに連動する手、指の動き。演出家の意図なのだろうけれど、渡辺さんはよくその意図を捉え、表現していたと思う。言葉だけに頼る役者が多い中で、言葉によらず表現するのは、熟達した役者にしかできないことだ。66歳…まだまだ若い。田中泯は77歳、麿赤兒は79歳、藤竜也80歳、仲代達矢89歳。70代、80代の渡辺さんを見てみたかった。謹んでご冥福をお祈りいたします。
このシリーズは、何と言っても主役の上川隆也(糸村聡 役)。初めて見たのは「大地の子」(NHK)だった。中国残留孤児の陸一心役。ドラマというより、ドキュメンタリーを見ているようで「演じている」感がまったくなかった。「大地の子」は山崎豊子が「命を懸けて書いた」という小説。その山崎豊子をして、(主役が)「彼でよかった」と言わしめたというのだから、すごい。
日本の父親は仲代達矢。「エンジェル・ハート」(日本テレビ)の冴羽獠、「佐方貞人シリーズ(テレビ朝日・東映)。「執事 西園寺の名推理」(テレビ東京)での八千草薫との掛け合いは、面白く、心温まるものだった。いろいろな表情を見せるヒューマンな役者だと思う。
警視庁から京都府警に移ってきた村木繁 役の甲本雅裕はいいコンビだ。甲本雅裕も達者な役者だ。甲本ヒロトの弟だというのは有名?な話だが、高校の同級生が梶原善。甲本兄弟を育てたおうちはどんなおうちなんだろう?と興味が湧くが、甲本雅裕や梶原善が通っていた高校にも興味が湧く。ちなみに、甲本は小学校から大学まで剣道漬けで、全日本学生剣道選手権大会で団体ベスト8だというから、相当な腕前だ。ドラマの中で、糸村への面が決まらず、逆に糸村に胴を抜かれるのは屈辱的だったろう。芝居には見えなかった。
「とは言え村木、学生時代は剣道部の主将をしておりました」
主将かどうかはわからないが、とにかく団体ベスト8はすごい! 面を決め、「面は?」と聞くと、審判は、入っていない、というジェスチャー。村木が一言「素人め!」
これは笑えた。マニア受けを狙ったか?? わざわざ糸村と村木の剣道対決を設定した、脚本家のシャレに敬意を表したい。
「はみだし刑事情熱系」(テレビ朝日)では、犯人役だったのが、刑事になって、金八先生(TBS)ではヤクザだから、振り幅が広い。<準・怪優>だ。
<脚本> 大石哲也(青のSP)
<演出> 長谷川康(横山秀夫サスペンス)、兼崎涼介(科捜研の女)
<チーフプロデューサー> 佐藤凉一(佐方貞人シリーズ)
競争の番人
競争の番人 <ネタバレ注意><個人の感想です>
「競争の番人」は、公正取引委員会が舞台だ。刑事もの、医療ものが定番の中で、公正取引委員会が舞台だというのは、それだけで興味を惹く。つい、労働基準監督局を舞台としたドラマ「ダンダリン 労働基準監督官」(日本テレビ)を思い出した。竹内結子の段田凛はカッコよかった。今さらながら、竹内結子が亡くなったのは残念だ。
公正取引委員会がどのような仕事をしているのか、どのように証拠を集め、立証していくのかが垣間見えて、興味深い。
坂口健太郎、杏、寺島しのぶ、大倉孝二、小池栄子、大西礼芳、と役者も揃っている。坂口健太郎と小池栄子は、「鎌倉殿の13人」で共演している。北条頼時(→泰時)と北条政子、甥―伯母の関係だ。坂口健太郎は、「鎌倉殿の13人」では若く、まだ頼りない若者を演じている。役者として当然といえば当然だが、それぞれの役になりきっている。「とと姉ちゃん」の星野武蔵、「シグナル」の三枝健人、「おかえりモネ」の菅波幸太朗(#俺たちの菅波)も印象深い。「競争の番人」では、20歳で司法試験に合格し、東大法学部を主席で卒業、好き好んで(失礼)公正取引委員会に就職するという、クールで変わり者の小勝負勉を演じている。
第1話から第3話までは、「ホテル天沢」が舞台。ターゲットは天沢雲海(山本耕史)だ。雲海は一筋縄ではいかない男。長澤(濱津隆之)、碓井(赤ペン瀧川)が立ちふさがり、難攻不落の城のようだ。山本耕史も、「鎌倉殿の13人」で、北条義時(小栗旬)の盟友、三浦義村という重要な役どころを演じている。このところ主演が少ないが、もう一度「居眠り磐音」が見てみたい。第4話、第5話のターゲットは、芝野竜平(岡田義徳)。岡田義徳はいろいろなドラマに出ているが、屈折した敵役を演じさせたら、天下一品。「科捜研の女」第15シリーズの「工藤貴志」は特に印象に残っている。このドラマでは、まさかのいい人チェンジ。
第6話は、着物業界の女帝、赤羽千尋(真飛聖)VS公正取引委員会 桃園千代子(小池栄子)と思っていたら、実は女帝と新参者、井手香澄(萩原みのり)の熾烈な争い。桃園、井手側の敗北かと思いきや、遺恨をサラッと流してハッピーエンド、というよくわからない回だった。
真飛聖は、「相棒」のカイトこと甲斐享(成宮寛貴)の恋人、笛吹悦子を演じていた。元
宝塚花組のトップスターだけあって、和服がよく似合っているし、貫禄もある。小池栄子との対決は見どころがあった。
萩原みのりは、「お茶にごす」「ケイ×ヤクーあぶない相棒―」「初恋の悪魔」と、このところよく見かけるが、不思議な存在感を感じさせる役者だ。この役も、いじめられていると思っていたら、実はしたたかに汚い手を使う人で、でも結局はいい人、という難しい役どころを見事に演じている。
毎回、冒頭に出てくる公正取引委員会のレクチャーも勉強になる。クイズ形式というのも斬新な手法だ。公取が、地検特捜部や金融庁のように強力な権限を持っているわけではないことがよくわかる。刑事もの、医療もの、法廷ものが多いドラマの世界で、公正取引委員会をテーマとして取り上げたスタッフに敬意を表したい。
<原作> 新川 帆立(元彼の遺言状)
<脚本> 丑尾 健太郎(愛しい嘘〜優しい闇)、神田 優(愛しい嘘〜優しい闇)
穴吹 一朗(信濃のコロンボ)、蓼内 健太(アンサング・シンデレラ)
<演出> 相沢 秀幸(ミステリと言う勿れ)、森脇 智延(イチケイのカラス)
<プロデュース> 野田 悠介(アンサング・シンデレラ)
<協力> 公正取引委員会
<制作・著作> フジテレビ
ミステリと言う勿れ 第7話
ミステリと言う勿れ 第7話
<ネタバレ注意><個人の感想です>
「勿(なか)れ」は強い禁止。漢字で表現することによって、より強めの表現になっている。タイトルの「ミステリと言う勿れ」は、「ミステリと呼んではいけない」という意味だろうか。
ミステリーというカテゴリーで勝手にくくらないでほしい。もっと多くのものをこのストーリーから読み取ってほしい、という作者の願いが込められているように思う。
大隣署管内で発生した4件の連続放火殺人事件。それらには、両親が死亡し、子どもだけが生存している、という共通点があった。
犯人は井原 香音人(かねと)(早乙女太一)と下戸 陸太(おりと ろくた)(岡山天音)。彼らは、虐待を受けている子どもたちを救うために、加害者である親を焼死させていた。
香音人は、子どもたちがその後、幸せに暮らしているかどうかを知りたくて、鷲見という青年に会いに行く。
鷲見は香音人に感謝するどころか、より苦しんでいることを伝える。「わかるよ。僕も虐待サバイバーだから」という香音人に対して、鷲見は、香音人の親はたまたま火事で死んだだけで、殺したわけではない、鷲見たちは香音人に殺害を依頼することにより、自分たち自身が親を殺したことになる、と主張する。香音人に自分たちの気持ちは、わからない、と。そして言う。「二度と来んな」
香音人は、自分のしたことにより、子どもたちがかえって苦しんでいることに絶望し、「天使」としての活動をやめることを決意する。
陸太は自分が香音人にとって無用となり、捨てられると誤解し、香音人を刺す。
陸太に刺されても、香音人は逆に謝る。
「ごめんね、陸ちゃん。苦しくさせて、痛くさせて」
「陸ちゃん、助けてあげられなくてごめんね」
と言って、香音人はこときれる。
これはもう、天使というより、神の領域だ。
♫アベ・マリア(シューベルト) 陸太の号泣
冷凍庫に横たわる、香音人の遺体 美しく、安らかな表情。冷気に包まれて、本当に天使のように見えた。
早乙女太一は、このところ、NHKの朝ドラ「カムカムエヴリバディ」、テレビ朝日系の「封刃師」と立て続けに出演している、大衆演劇出身の実力派だ。
将来、教員になりたいという久能 整(ととのう)(菅田将暉)に対し、陸太は自分の壮絶なイジメ体験を語る。担任もそのイジメに加担していた。
< 整 > 「僕はいつもいろんなことに気づきたいと思っています。僕のクラスに陸さんがいたら、家で何か起こっていることに必ず気づくと思います。香音人さんがいたとしたら、その異変に絶対気づきます」
「必ず」「絶対」という言葉が用いられ、理想論のように聞こえるかもしれない。現場の教員の中には、理想論だ、教員は忙しくて、一人一人に目を配っているゆとりなんかないんだ、という者もいるだろう。教員の仕事は肥大化し、ゆとりがないのは確かだとしても、子どもたちを最優先に考えていれば、気づくはずだ。一人が気づかなくても、教員の中の誰かは気づくはずだ。子どもたちとのコミュニケーションが取れていれば、教員が気づかなくても、子どもたちの誰かが気づき、教えてくれるはずだ。
自分は死刑になるだろうけれど、その日まで何をしたらよいのか、と問う「陸太」に対し、「整」は自分の幼少期の体験を語る。
図書館の庭に一人でいると、ある女性が話しかけてきた。蟻という字の義がどういう意味であるか、石はなぜそこにあるのか。いっぱい考えてみるといい、という。そして、それを誰かに話すといい、と言った。
石はなぜそこにあるのか。自分が見ている外界は、なぜ存在するのか。自分とは何者なのか。存在論―哲学の領域だ。いや、「哲学」とカテゴライズする勿れ、か。
「整」は言う。
「考えるといいと思います。身の回りにあること全て、考えて考えて考えて 誰かに話してください」
無表情に淡々と語る「整」。真っ当なことを、照れもせず、カッコつけもせず、淡々と語る…確かにこの役は、菅田将暉にしかできない。しかも、モジャモジャ頭で。
「整」(菅田将暉)が「陸太」(岡山天音)に語るこの言葉は、テレビの画面を超えて、見ている人々の心に響くだろうか。
そこに突然現れる「ライカ」(門脇 麦)。香音人の柩(冷凍庫)の前にひざまずき、「自省録」のページと行番号を、まるで祈りの言葉のようにつぶやく。「ライカ」が信者〜修道女のように見える。 宗教的イベント クリスマスイブの出来事。
< 風呂光 >(伊藤沙莉) 「病院に縛られていたご夫婦のお子さんは、施設に保護されました。ずっとお母さんに会いたいって泣いているそうです。やっぱり、どんな目に遭っても、子どもって…」
< 池本 >(尾上松也) 「そりゃそうだろう。どんな親でも子どもは大好きだろう」
< 整 > 「それ、いい話じゃないです。子どものその気持ちに親はつけ込むので。
でも…でも母親も追い詰められている」
虐待された親が、子どもを虐待する。生まれた時から、その世界で育ってきたから。虐待の連鎖―再生産。その連鎖を断ち切れるのは、社会のシステムチェンジであり、教育だ。
「ライカ」が祈りの言葉として、つぶやいていた「自省録」の該当箇所をつなげると
「感謝する。君の火に助けられ、苦痛は過ぎ去り、私は悦びに満ちている」
「ライカ」「千夜子」も虐待を受け、「天使」によって解放されたのか。しかし、年齢が合わない?
「25-6〜を読んで心が決まった。あれは刺さるな。 彼にもう一度会いたかった。ありがとう、整くん。」
♫別れの曲(ショパン)
「勿れ」で思い出すのは、ヘミングウェイの「誰(た)がために鐘は鳴る」で引用されている、ジョン・ダンの詩の一節だ。
ゆえに問うなかれ 誰がために鐘は鳴るやと
そは汝(な)がために鳴るなれば (大久保 康雄 訳)
(だから、聞いてはいけない。一体誰のために、弔いの鐘は鳴っているのか、と。君を弔うために鳴っているのだから)
ヘミングウェイは、スペイン内戦で、独裁者フランコと戦う共和国軍側に義勇兵として参戦した。スペインでの民主主義の危機を他人事として見ていれば、やがてその危機は、自分たちをも巻き込むことになる。スペイン内戦は、もう80年ほど前のできごとだが、今や世界中で民主主義は危機に瀕している。中東、アジア、アフリカだけでなく、ヨーロッパ、アメリカ、日本でもだ。
虐待、いじめ、差別…それらの不合理を他人事として見ていれば、やがてその不合理に自分自身も巻き込まれていくことになる。だから、「整」のように、単純明快に「NO」と言う必要がある。そう考えさせられた。
深く、考えさせられるドラマだ。「単なる」ミステリーではない。
<原作> 田村 由美
<脚本> 相沢 友子
<演出> 松山 博昭
<プロデュース> 草ヶ谷 大輔(フジテレビ) 熊谷 理恵(大映テレビ)
<制作・著作> フジテレビ